慶長7年、小倉城藩主細川三斉公が 陶工尊楷を 朝鮮から招き、田川郡福智町上野の地に 上野焼を開窯しました。細川・小笠原藩主の 御庭焼として 多くの茶人に愛用され、江戸中期には、小倉の清水の地に 分窯が造られました。長らく藩の御庭焼として愛されましたが、その分窯は 時代の流れとともに 廃窯し、長らく途絶えていました。その後、昭和31年 時の小倉市長 並びに 文化人の誘致により、上野焼の 熊谷本窯14代龍峰の四男であった 初代光峰が、由緒ある篠崎八幡神宮の裏高台地に 復興の意味を込めて 築窯しました。小倉市長 並びに 文化人の方々から 新たに、豊前国企救郡と言う 古い小倉の地名から『企救焼』の屋号、小倉城の三階菱に由来する 印を頂き、細川・小笠原両藩主御庭焼として 今日に至ります。伝統的な緑釉を 多年に渡って研究し、渋味のある緑青、きめ細やかな土による軽く薄造りの器が特徴です。
当主 第二代 光峰は、昭和41年有田工業を経て、45年九州産業大学彫刻科を卒業後、父に師事し陶技を修め乍ら、登り窯を 新たに完成し、釉薬と土味に新しい境地を見いださんと日々研さんに励んでおります。
初代の伝統を墨守しながら独自の作品を創り、茶道家並びに、愛陶家各位のご期待に沿うべく努力を続ける所在でございます。
日本工芸会正会員
朝日カルチャーセンター講師
北九州市 指名業者 登録
高松宮殿下に花瓶献上
西部工芸展 銀賞
西部工芸展 福岡県知事賞
日本伝統工芸展 入選
日本工芸会正会員 認定
小倉井筒屋にて 個展
昭和62年(1987年)生まれ
広島市立大学 芸術学部 彫刻科 中退後 二代 光峰 を 師とし 作陶を始める。
企救焼の 従来の技法や釉薬の伝統を学び 自分なりの工夫を加えた作品を目指すべく誠意奮闘中。
第50回(2015)~54回(2019) 西部工芸展 入選
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企救焼窯元
福岡県北九州市小倉北区篠崎二丁目34-12
小倉井筒屋美術工芸品売場
福岡県北九州市小倉北区船場町1-1
北九州市立小倉城 城テラス
福岡県北九州市小倉北区城内1-2
北九州おみやげ館
福岡県北九州市門司区東港町6-72
門司港レトロ観光物産館「港ハウス」1F
陶芸教室
朝日カルチャーセンター北九州
煎茶教室
講師 小笠原流煎茶道教授 中村 翠道